大会担当 高橋 勤

 去る51011日の両日、佐賀大学において九州アメリカ文学会54大会が開催されました。特別講演には、日本アメリカ文学会会長の田中久男先生をお迎えし、「アメリカ文学における階級表象――ジェイムズ、フィッツジェラルド、フォークナー」という演題で御講演いただきました。アメリカと「階級」という、ある意味において逆説的なテーマについて、ジェイムズ、フィッツジェラルド、フォークナーの丹念な読みを通してテキストの向こうに見える「政治的無意識」を洞察されたお話であったか、と思います。田中先生には、ご多忙の中御講演いただき、ハンドアウト等、周到に御準備いただいたことに深く感謝致します。
 さて、54大会を振り返って、いくつか印象に残ったことを記したい、と思います。初日の10日は生憎の雨で、私が真っ先に心配したのは看板のことでした。昨年まで3年間大会の会場校を引き受けており、看板について少なからず気をもんだ経験があったからです。
 「看板にビニールシートが掛けてあるだろうか。」
佐賀大学に到着してまず愕然としたのは、その看板の立派さでした。縦2メートル横15メートルの堂々とした看板が校門の前に立てられているではありませんか。KALSの大会において、かつて二色に印刷された看板が立てられてことがあったでしょうか。
 安心したのも束の間、大学の構内に入った私は会場が分からず道に迷ってしまいました。構内を半周したところで校門に引き返し、守衛さんに会場を訊ね、さらに雨の中構内を一周半したところで、この棟だろうと見当をつけて戸を押すと、まだ開いていない。そんな筈はない、とガタガタとやるのですが、やはり鍵がかかっている。ふと時計を見ると、まだ八時を回ったばかりで、私の一人相撲であったことが判明した次第でした。
 研究発表のいくつかを聴きながら思ったことは、やはり学会は聴くだけではつまらない、ということでした。発表したり質問したりして、はじめて学会に参加する意義もある、ということでしょうか。特に支部学会については、会員自身が支部の大会を軽視する傾向にあり、中堅ばかりか若手ですら支部大会で発表しようとしない風潮があるのは悲しいことではないか、と思います。もっとも中堅どころの研究者は日々の生活が多忙であ り、院生ほどにも研究が進んでいない、という事情かと推察するのです が、やはり中堅どころが率先して学会をリードしないと大会は盛り上がらないし、これから勉強しようと目を輝かせている学生に妙な印象を植え付けてしまいます。中堅の研究者は、学生にとって良きロール・モデルである必要があります。その意味において、シンポジウム「20世紀アメリカ小説における『家族』の形態」において、出井ヤス子先生が御高齢にもかかわらず、新鮮な好奇心と変わらぬ探究心を示されたのは良き手本であったと思います。
 大会責任者として、事務局長の早瀬先生、それから佐賀大学の名本先生と鈴木先生に感謝致します。あの「歴史的な」看板の件は別にしても、プログラムの掲示、お茶の用意、総会の準備、それに懇親会の手はずまですべて周到にご準備いただいたことに深く謝意を表したいと思います。生憎の天気にもかかわらず、昨年同様、いや昨年以上の参加者があったのも佐賀大学の先生方のご努力の賜物だと考えた次第です。
 懇親会は、「はがくれ荘」という結婚式場で行なわれましたが、例年どおり沖縄の赤嶺先生から古酒(クースー)の差し入れもあり、和気あいあいの雰囲気の中おおいに盛り上がった懇親会であったと思います。おそらく、日本における英米文学関係の学会において、これほど楽しく、老若男女が入り乱れて、お酒と料理と話が楽しめる懇親会はないのではないか、いや非常に稀なケースではないか、と考えています。諸先輩方によって培われた、九州アメリカ文学会の自由な空気と温かな感情の流れが、澱むことなく、いつまでも脈々と続いていくことを願って、大会報告と致します。

 NewsLetter37

九州アメリカ文学会第54回大会報告