NewsLetter

2006年度在外研究報告 -マーク・トウェインを探して-

西南学院大学  田部井孝次

 サンフランシスコからCaltrainに乗って南に1時間足らず。スタンフォード大学のあるパロアルトに着く。閑静な大学町であると同時に、近郊には有名なIT企業が集積する活気あふれた地域でもある。観光といってもこれといってなく、あえてあげれば、大学そのものが観光の目玉といってもよいかもしれない。観光客相手のツアーがあり、15人から20人くらいの一団をよく目にする。とにかく広い。それもそのはず、ほとんどの学生はキャンパス内の寮に住んでおり、点在する寮から自転車に乗って移動する。また「マーガリート」と称する無料のシャトルが、キャンパス内外をそれこそ縦横無尽に走り回り、大学関係者のみならず、市民や観光客の足になっている。筆者の足も、自転車とこのシャトルである。車がない分、行動範囲は狭まるが、これといって不自由は感じない。   所属は英文学科ではなく、アメリカ研究プログラムというところになっている。というのは、今回の研究テーマがマーク・トウェインの異文化体験の一環として、トウェインとアメリカン・インディアンの関わりを研究する、というものだったので、大学側の配慮でアメリカ研究プログラム所属となった次第である。その上幸いなことに、このプログラムのディレクターがShelley Fisher Fishkin博士だったことも大きな理由としてあげなければならない。3年前にテキサス大学オースティン校より赴任してきていたのである。フィシュキンといえば、マーク・トウェイン研究者ならば、アメリカのみならず、日本においても知らぬひとはいないであろう。1993年あのWas Huck Black?が出版されると大きな反響が巻き起こった。『英語青年』でも何度か取り上げられ、その反響はなかなか静まりを見せなかったが、ここにきてようやく評価も落ち着いたというところだろうか。1996年、彼女はLighting Out for the Territoryを出版し、ほんの数ページではあるが、Was Huck Black?の出版までのいきさつやタイトルの意味を説明している。くわしいことは、その本に譲るとして、ひとつだけ彼女の弁明をあげておこう。いわゆる"one-drop rule"なのだと彼女はいうのである。つまり、黒人の血が一滴でも混じっていれば、扱いは黒人、つまり奴隷ということであるが、この一滴をハックに当てはめたということである。しかし、それは色ではない。声である。その一滴の黒人の声をハックに見いだしたということである。副題を見逃すととんでもない誤読を招くということであろうが、その副題とは、Mark Twain and African American Voices。ハックの黒人性は、色でもなく、言語でもなく、声なのだ、と彼女はしきりに強調していた。強調していた、というのは本のなかの話ではなく、4月初旬スタンフォードで彼女と昼食をともにしていたときの話だ。出版当時のことを思い出したのか、けっこう熱く語っていた。ハックのことばをいちいちあげつらって、黒人との類似性を云々することは彼女の本意ではないらしい。キーワードは彼女いわく "one-drop rule"。
 フィシュキン博士は、日本人の知合いも多く、オースティン校時代の日本人の教え子もいるためか、日本についてよく知っている。日本文学にも造詣が深く、大江健三郎、開高健など話は多岐におよび、あっという間の昼食時間であった。国際マーク・トウェイン学会の会長だけあって、アメリカ文学・文化だけでは収まりきれない博学の国際人である。
 さて、今回の研究テーマについても少し話をしておこう。マーク・トウェインの「インディアン」嫌いはつとに知られていたが、意外と研究論文が少ない。その人種偏見の激しさからタブー視されてきたためか、「表沙汰」にされる機会があまりなかった。人間、動物を問わず、マイナーなものに対するトウェインの眼を知るものにとっては、その偏見は異様にうつる。いったいそれはどこから来たのか。その鍵を握る作品が西部への旅を描いたRoughing Itである。
 1861年といえば、南北戦争を思い起こすが、その年の7月、トウェインは、ネヴァダ・テリトリ(準州)の秘書官に任命された兄オライオンに従って、駅馬車の旅に出る。ミズーリ州を発って16日目、ユタ準州を過ぎていよいよネヴァダに入ろうかというあたりで、駅周辺にたむろするゴシュート・インディアンに出会う。ソルトレークの西方にあるあの広大な塩砂漠を過ぎたあたり、というと大体どのあたりか想像できるだろうか。その風体を目の当たりに見たトウェインは、彼ら「裸体の生き物たち」をゴリラ、カンガルー、ドブネズミに例える。自称クーパー信奉者、インディアン崇拝者だったトウェインは、彼らのおぞましさに哀れみも吹き飛んで、「吐き気をもよおす」。正直な気持ちからか、あるいは世相を反映して読者へのサーヴィス精神からか、それはともかく、このインディアン観は後々まで尾を引きずることになる。
 ユタ、ネヴァダ、カリフォルニアには、ユート、パイユート、ショショーニ、ワショ、ゴシュートなどの各部族が存在しているが、いわゆる西部劇に出てくるお馴染みのインディアンではない。トウェインが毛嫌いしたゴシュートは少数部族ではあったが、今でも400人余りが確認されている。もっともそのほとんどは、保留地を離れ、近隣の都市圏で生活しているようである。
 マーク・トウェインは旅のひとであった。それにならって、大学に引きこもらず、荒野に出てトウェインの足跡をたどり、オレゴン・トレイルを実地検証したかったが、2.000マイルのひとり旅はちと冒険が過ぎると思い直し、せめてネヴァダ、ユタまで足をのばし、追体験の旅を敢行しようと今計画中である。
                                                (スタンフォード大学図書館にて)