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現代の社会状況を鑑み現代の視点から19世紀の小説を読み直す、また、それによって文学による教育に新たな可能性を開く。本シンポジウムはそのようなコンセプトで企画された。竹内は標記の題目で人間の認識の「根源的受動性」を見通すメルヴィルの意識を読み取り、その現代における位置づけについて考察した。我々の生活に溢れる映像、画像は自己同一化を促し、同時に我々の経験を標準化していく。だが、対象を見た瞬間にイメージがインプットされる認識の受動性や標準化に潜む政治的コントロールは現代に限った問題ではなく、19世紀のメディア体験において既に多く見られた。とりわけ、帝国主義的な「見る」欲望やそれに合わせて映像を編集する技術は、現代メディアの原型として当時も十分に発達していたと言える。メルヴィルはそうした現象の根底に対象に自己を重ね合わせる人間のナルシシズムを読み取り、エイハブ船長の姿を通してそれを批判し、そこに付随する底知れぬ苦悩を表現した。この苦悩は受動的な精神から常に抜け出ようとする意識があって初めて生起する。アクティブな主体とは、エイハブのように受動性へと押し戻されながらも、自己を映す対象の向こうに何かを読み取ろうとする努力によってもたらされるのである。映像の向こうに、記事の向こうに、何が、どんな仕組みがあるのか、今メディアリテラシーが伝えようとしているのはまさにこの態度である。 |