ノエル・ポーク教授来福講演
九州大学 小谷耕二
フォークナーとウェルティの研究で著名な、サザンミシシッピ大学のノエル・ポーク教授が福岡を訪れ、6月26日(土)に九州アメリカ文学会で講演をおこなった。
もともと日本ウィリアム・フォークナー協会主催の「フォークナー国際シンポジウム 2004」(6月12日、13日の両日、中央大学駿河台会館にて開催)参加のため来日したのだが、それを機に北星学園大学に一月ほど滞在し、その間、日本英文学会中四国支部大会(松江で開催)と関西学院大学、そしてKALSで講演をおこなったのであった。
私事になるが、10年ほど前に一年間アメリカに滞在したおり、ポーク先生に受け入れ先となってもらい、いろいろとお世話になったことがあった。それでフォークナー協会の役員会でポーク先生来日の話を知ったとき、できるものならぜひ何らかの形で福岡にも来ていただきたいと思った。会長の安河内先生にKALSでの講演の可能性を打診するとすぐさま快諾を得たので、日本でのスケジュールの調整役となっていた東大の平石先生と連絡をとりあいながら、講演の実現に至った次第である。
講演に先立って前日の夜、和食料理店「香津木」で九州のフォークナー研究者による歓迎会をおこなった。参加者は佐賀大の早瀬さん、長崎シーボルト大の山田さん、福岡大の樋渡さん、西南学院大の藤野さん、崇城大の永尾さん、それに小谷である。博多駅に出迎えに行った樋渡さんが、佐賀県境の三瀬峠近くの温泉に案内してくれたこともあり、ポーク先生は湯上り気分で終始上機嫌。その気さくで茶目っ気のあるお人柄にわれわれもすっかりくつろいで、なごやかで楽しい宴であった。小さい頃ボーイスカウトか何かの集まりで集団写真を取った際に、長回しのカメラが左から右へと動いていく間に、最初左端でポーズを取ったあと、すばやく右端に移動してポーズを取り、同じ写真の中で二箇所に映るという離れ業をやってのけていた利発ないたずら小僧の面影は今も健在であった。(ちなみに、このエピソードは
“Upon Being Southernovelized: My Town, My Department, My Friends, and
Me in a Carpetbagger Novel” [Outside the Southern Myth 所収]という文章の冒頭にある。)
講演当日は、小雨のなか太宰府天満宮と観世音寺を案内したあと、九大六本松キャンパスで “Life and Literature in the
American South” と題して、おもにウォーカー・パーシーとエレン・ダグラスについて話をしていただいた。この二人の作家がフォークナーから受け継いだもの、また南部や世界に対する見方においてフォークナーとどのように異なっているか等をめぐって、実に啓発的で充実した話であった。(本来ならば、この講演の内容をもっと詳細に報告すべきなのであろうが、実を言うとそのときのメモを西新の郵便局で失くしてしまった。パソコンのウイルスバスターのアップグレード料を払いこみに行ったのだが、社会学習の小学生がうじゃうじゃおり、騒々しさにほうほうの態で退散したときに、クリアファイルごと置き忘れたらしい。小さなウイルスども
[失敬!] のせいで、貴重な記録が消失してしまったというわけである。)会が始まる直前に、九大の学生寮の寮祭で褌一枚の学生連が大挙して玄関前の広場に押し寄せ、力水をかけながら檄を飛ばし、大声で寮歌をうたった。この光景を窓から見下ろしながら、思いがけない珍妙な歓迎にポーク先生もいいお土産話ができたのではなかろうか。
講演のあと、小料理店「高司」で参加者十数名が集まり懇親会を開いた。お世話になったことがあるということで、わざわざ宮崎から駆けつけてくださった会員の方もおられた。長野のセミナーに参加したことのある橋口先生もお見えで、ポーク先生は橋口先生からセミナーでのフォークナーの様子を聞きながら、おおいに意気投合しておられた。
翌日は樋渡さんといっしょに唐津城に案内した。時間の都合で、予定していた唐津焼中里太郎衛門の窯元見学はできなかったが、道中、研究のことから世間話までさまざまの話を楽しませてもらった。不慣れな接待係も、樋渡さんの献身的な手助けでなんとか務めを果たし、空港まで先生を送り届けることができた。お礼を申し上げたい。
この原稿を書きながら、今そう思えるのだが、実のところもてなしを受けていたのはこちらの方だったかもしれない。ポーク先生は強行スケジュールにもかかわらず疲れた様子ひとつ見せず、終始笑顔を絶やさず語り続けてくださった。いろんな人と会えて楽しいし、疲れている暇はないよ、そう言っておられた。10年前と同様、今度は福岡でサザンホスピタリティに浴したのであった。
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